モノを生み出す人々と現場

製粉業

小田 眞司 さん

小田 眞司
写真:小麦畑
写真:小麦の穂

かつては「三県物」と呼ばれ、
高値で取引されていた小麦の産地・岡山。
昭和時代には、製粉業も盛んだった。

古代、「吉備の穴海」と呼ばれていた内海は、長い時の中で三大河川や中小河川の堆積作用によって埋まり、江戸時代の大規模な干拓によって、平野へと姿を変えました。
こうして生まれた岡山平野を有する岡山県南部は、気候や水にも恵まれ、古くから小麦の栽培が行なわれてきました。やがて、その上質さから「三県物」と呼ばれるようになり、市場では高値で取引されていたといいます。

写真:小田象製粉株式会社外観

そんな岡山では、かつて製粉業も盛んでした。昭和時代の最盛期には、数百の製粉業者がいたとも。しかし、麦の生産量の減少に伴い、今やその数はわずか数社に。
そんな中、70年近くにわたって製粉業を営んでいるのが、『小田象製粉株式会社』です。
「大正13(1924)年に雑穀などを扱う商店として開業し、戦後、製粉会社となりました。その後、スイス製の機械を導入するなどし、現在はオートメーション化した工場でさまざまな小麦粉を生産しています」と、小田眞司社長は話します。

写真:手にのせた小麦の粒
写真:社長の小田さん
写真:様々な種類の小麦粉

「岡山の小麦のおいしさを知ってほしい」。
そんな思いを込め、県産小麦100%の
「ぼっけぇー粉」と「でぇーれぇー粉」を発売。

小麦は、米の籾殻にあたる外皮の部分が強靭で、小麦粉となる胚乳がもろいため、米を脱穀するように、簡単に外皮を取り除くことはできません。そのため小麦の製粉は、固い外皮を開いて胚乳を取り出し、少しずつ挽いていきながら、幾度もふるいにかけるのだそう。
「当社では、小麦を50種類の粉(上がり粉)に分けています」と小田社長。

「上がり粉はそれぞれにグルテンなどの割合が異なるため、どれをどのくらい配合するかで、強力粉や中力粉、薄力粉のほか、パン用、菓子用など、特徴の異なる小麦粉を作ることができるのです。たかが小麦、されど小麦、です」。

写真:ぼっけぇー粉
写真:でぇーれぇー粉

そう笑顔を見せる小田さんは、平成20(2008)年に県産小麦を100%用いた、業務用のうどん用小麦粉「ぼっけぇー粉」を発売。地産地消意識の高まりも手伝って好評を博したことから、平成26(2014)年にはその第2弾となる製菓用小麦粉「でぇーれぇー粉」を世に送り出しました。さらに、2016年3月には、先行の2商品より弾力や粘りのある強力粉の発売も予定しているそう。

いずれも、「岡山県で育った小麦のおいしさを、一人でも多くの人に知ってほしい。そして、岡山の地粉を使ったパンや麺が増えることで、岡山の小麦の生産量が盛り返す一助になれば」と願い、開発したものです。

写真:詰まれた小麦粉の袋
写真:製粉工場内の風景
写真:工場で機械を操作する人
写真:小麦粉と小麦
写真:作業風景
写真:工場内の風景
写真:小田 眞司 さん

小麦が秘める「無限の可能性」を追求し、
その力を伝えていくのが、製粉会社の役割。

「製粉業は、鉄や石炭と同じ素材産業です。だからこそ、付加価値を付けていく必要があるのです」。
ここ数年の間に、岡山県産小麦に特化した品を発売したほか、微粉砕の小麦粉を使った新ブランドを設立しました。
「新型機の導入で、従来80~100マイクロメートルだった粒子を10マイクロメートルにまで小さく粉砕できるようになりました。味や食感、口溶けなどを決定する粉の配合など、長年培ってきたノウハウを活かして、これまで以上に多様なニーズに応えていきたい」と小田社長。
また、業者向けの講習会を開き、社内の研究所で考案したパンや菓子、麺類のレシピなどを提案してもいます。

「小麦の力を伝えていくのが、我々製粉会社の役割ですから」。そう語る小田さん率いる当社では、今日も小さな小麦が秘める「無限の可能性」を追求しています。

※1マイクロメートルは1000分の1ミリ。

写真:小田 眞司 さん

Profile

製粉業
「小田象製粉株式会社」 代表取締役社長 小田 眞司(おだ しんじ)

昭和49(1974)年、岡山市生まれ。東京の大学を卒業後、証券会社を経て。平成10(1998)年に同社に入社。以後、製造、配送、営業などを経て、平成26(2014)年に社長となる。『小田象製粉株式会社』は、平成28(2016)年に創業70周年を迎える。

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