モノを生み出す人々と現場

備前焼作家

二代目 原田 陶月とうげつ さん ・ 原田 良二 さん ・ 原田 圭二 さん

原田 陶月・良二・圭二
写真:備前焼
写真:原田陶月さんの町家窯

火入れから500時間以上。
片時も離れることなく、窯を見守る。

備前の土を水でこねて形を作り、約1,230℃もの高温の窯で焼き締める備前焼。釉薬や絵付けを施すことなく、窯焚きによって肌に表れる多彩な色や表情から、「土と炎の芸術」とも称えられる岡山自慢の逸品です。

二代目・原田陶月さんの「町家窯」は、窯元や作家が軒を連ねる備前焼の里・備前市伊部の一角に佇んでいます。涼やかな風が虫の声を運んでくるある秋の夕暮れ時、そこは窯焚き真っ最中でした。既に500度を超えているという窯の焚き口に、陶月さんがくべる薪は、一瞬で炎に包まれていきます。

写真:備前焼の窯

「子どもの頃からてごー(手伝うを意味する岡山の方言)しよったが、薪をくべるタイミングと火止めのタイミングは難しい」。
そう話す陶月さんは、長年のカンで薪をくべ、7~8日かけて徐々に窯の温度を1,100~1,200℃にまで上げていきます。その間、陶月さんは長男の良二さん、次男の圭二さんと交代で、寝ずの番を続けるのです。

「20年ほど前、親父と一緒にやったここでの初窯は手探りだったが、データをとり続け、今ではこの窯のクセも把握しとる。それでも、温度だけでははかれない火止めのタイミングはドキドキする」。
やがて火止めの時を決断すると、その後8日ほどかけて窯の温度をゆっくりと常温に戻していき、窯出しの日を迎えます。

写真:手びねりの技
写真:手びねりで練られた土
写真:ろくろで成形する

名工と謳われた初代・原田陶月の技と思い、
「伊部の形」を元に、理想を追う。

「町家窯」の礎を築いたのは、陶月さんの父親である初代の故・原田陶月さんです。手びねりに力を入れ、持つ人に温かさが伝わるような、土味や焼け味をたたえた宝瓶や水盤、干支の置物などを数多く手がけました。1994年には当時はまだ数少なかった「伝統工芸士」に認定され、名工とも謳われた人です。
「自然体で土に向かっていた親父ですが、作るのは細部にまで気を配った、手びねりならではの繊細な品ばかりでした」。
父の仕事ぶりを子どもの頃から肌で感じてきた陶月さんは、そう話します。

そんな父の元で陶技を磨いた陶月さんが大切にしているのは、初代から受け継ぐ土そのものの味わいや焼け味、そして生まれてからずっと身近にあった「伊部の形」。現在は、昔ながらの備前焼を根底に据えながらも、師と仰いだ父の「自分の思うように作ったらいい」という言葉に後押しされ、自身が理想とする備前焼を追い求めています。

写真:備前焼き
成形し終わった器に銘を入れる
写真:焼く前の備前焼
写真:窯の前の原田陶月さん原田 陶月 さん
写真:兄の良二さん原田 良二 さん
写真:弟の圭二さん原田 圭二 さん

三者三様の備前焼と出合える「町家窯」。
祖父の陶技を守りつつ、新たな挑戦も。

備前の土で形作った酒器や皿、壷、花器などを焼き締める炎を秘めた、登り窯。それに向かう陶月さんを助ける、2人の息子たちは、祖父と父の陶技を受け継ぎつつ、自身の備前焼を追求しています。
「形には限界がある。窯の詰め方や置き場所、温度などさまざまな要素を含む焼成によって生まれる、窯変や火襷に自分なりのスタイルを求めて精進中です」
と兄の良二さん。

写真:備前焼きを持つ手

一方、弟の圭二さんは、
「重視しているのは『用の美』。自分が使ってみたいと思える作品を心がけています。そして、練り込みや黒備前の技法を用いるなど、毎窯毎窯少しずつ、新しい作り方や形、焼き方に挑戦しています」
と話します。

備前焼の里に生まれ、名工の家に育つうち、自然と備前焼作家への道を歩み出した原田親子。身に染み付いた祖父の土味と焼き味を大切にしつつも、三者三様の感性で新たな備前焼を生み出しています。

  • 写真:原田 陶月 さん
  • 写真:原田 良二 さん
  • 写真:原田 圭二 さん

Profile

備前焼作家
原田 陶月(はらだ とうげつ)・原田 良二(りょうじ)・原田 圭二(けいじ)

1953年生まれの原田陶月(本名/原田浩吉)さんは、初代に師事し、2002年に二代目となった。現在は、独立している1977年生まれの良二さんと1978年生まれの圭二さんと共に、「町家窯」で作品を焼き上げている。

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