イ草製品製造
今吉いまよし 正行 まさゆき さん
古くからイ草の産地として知られ、明治時代にはイ草製品が日本の重要輸出品のひとつに数えられてもいた岡山。なかでも「備中西阿知花莚(びっちゅうにしあちかえん)」で栄えた倉敷市西阿知地区で、明治30(1897)年に創業したのが『今吉商店』です。
4代目店主の今吉正行さんは、30年前まで倉敷市水島で機械設計の仕事に就いていました。しかし、3代目にあたる父の安二さんが病に伏したことから、花莚職人へと転身したのだそう。
「この町では、ござ屋の長男は家を継ぐというのが当たり前でしたから」。
そう笑う正行さんが継いだのは、「備中西阿知花莚」づくりのなかでも織りを専門とする「織屋」。
もともとこの地の花莚製作は、「染め屋」「糸の整経屋」「織屋」「機械屋」「加工屋」などの分業で成り立っていました。
しかし、需要の低迷や後継者不足などにより、地内のござ産業は衰退。そのため正行さんは、織り以外の大部分の工程をほぼ独学で身に付け、製造のすべてをひとりで担えるまでに。そんな彼が花莚職人として大切にしているのは、「倉敷の職人が、倉敷で育てられたイ草を使い、倉敷で作られた織機を用いて、ひとつひとつ丁寧に織り上げる」という姿勢。15年ほど前から店名に掲げる「倉敷いぐさ」は、その表れなのです。
正行さんがイ草を織るのに用いているのは、昭和8(1933)年に西阿知地区に住む岡茂一郎さんが開発した「岡式ロール自動織機」です。正行さんの工場の中で大きな存在感を示す6台のレトロな織機は、「取り扱い説明書も、交換部品も、残っていない」ため、ここ以外、現役で動いているものはほぼありません。
幸いにも、正行さんの前職は機械設計。その時の経験と知識に創意工夫を加えることで、調整や修理、今となっては入手できない部品の製作までを自ら手掛け、大切に使い続けています。そして、こだわりの織機を次代に手渡すため
「感覚みたいなものでやってきたことを、数値に残している最中」
と、正行さんは話します。
正行さんの曾祖父・忠蔵さんが創業した当初は、畳表や上敷、花莚の製造を行っていましたが、父・安二さんの代から、倉敷美観地区の土産品としてテーブルセンターなどの「イ草民藝品」も手掛けるようになりました。
そして、「倉敷いぐさ」を店名に冠した正行さんは、これまでにない色や模様のさまざまな商品を生み出しています。コースターやランチョンマットなどのテーブルウエア、マウスパッドやCDケースといったパソコン関連グッズ、枕や寝ござ…。
「閉じた手のひらを2回続けて開くという岡山県を表す手話の動作は、イ草でござを織る様子からきとる。それほど、深い関わりがあるんじゃ。だからこそ、後世に残さんといけん」。
真摯な表情で話す正行さんは、時代のニーズに応えるため、商工会議所の若手職員らに協力を求めるなどして、さらなるイ草製品の開発にも力を注いでいます。
また、「イ草にはホルムアルデヒドや二酸化窒素などの体に悪い物質を吸着し、空気を浄化する作用があると言われとるんです」とも。青々とした清々しい香りとさらりとした手触りが特徴のイ草製品で、暮らしの中に癒しと健やかな空気を取り入れてみませんか。
Profile
イ草製品製造
倉敷いぐさ「今吉商店」 4代目店主 今吉 正行(いまよし まさゆき)
倉敷市西阿知地区で「備中西阿知花莚」の製造・販売を行う『今吉商店』の長男として生を受ける。倉敷市水島での機械設計の仕事を経て、花莚職人の道へ。店名を『倉敷いぐさ 今吉商店』に改名し、新たなイ草製品を多々開発。