モノを生み出す人々と現場

撫川なつかわうちわ職人

石原 中山ちゅうざん さん

石原 中山

江戸から続く撫川うちわ。
その美しさと優しい風に魅せられて。

岡山駅から西へ約10km。陣屋町の名残が残る撫川地区は、古くからうちわ作りが行われていたところです。武士の内職としてはじまり、350年もの伝統をもつ優雅なうちわは、その地名を取って「撫川うちわ」と名付けられました。

「太陽の下で見ると、より一層きれいでしょう」と話してくれたのは、保存会「三杉堂」の石原中山さん。普段は絵柄が控えめに見えますが、光にかざすと一気に鮮やかな透かし模様が浮かび上がり、さらに絵柄に合わせて俳句と歌が浮き出る「歌継ぎ」といわれる雲型模様が、日本人の心を見事に表現しています。石原さんも、このうちわの美しさに魅了された一人。きっかけは、昭和55(1980)年、地元公民館で行われた撫川うちわ作り講座に参加したことで、講座に通ううちに、徐々にその魅力に惹かれていったと当時を振り返ります。平成10(1998)年、本格的にうちわの製作に着手。保存会メンバーとしてその意志を継ぎ、後世にこのうちわを伝えるため、日々うちわ作りに励んでいます。

350年前から変わらない風は
熟練の技と、竹にあり。

あおいだ時にほどよくしなり、優しい風をつくる。手に持った時にしっくりとなじみ、見た目にも美しい・・・。骨組みとなる竹は、足守川周辺で3年以上育った「女竹(めだけ)」と呼ばれる、すらりと細いねばりのある竹だけを使います。うちわ作りに適した竹は、真っすぐなものでなければなりません。選りすぐられた竹は、製作の間に乾燥を挟みながら3か月以上かけてようやく、うちわとしての姿を表します。

4等分、8等分、16等分・・・。指の感覚だけを頼りに64本になるまで竹を割いてゆく。「1本1本の厚みを均等にする技術を習得するだけでも3年以上はかかる」と石原さんは言います。「64本のうち、たった1本でも厚みが違ったり、折れたら、そこでおしまい。加えて、いくら真っすぐな竹を選んでも、湿度や残量水分の関係で製作途中に竹が曲がることも。200本できても、そのうち約3割は使えない」というほど、うちわ作りの軸となる竹は、難しく繊細なもの。「だからこそ、おもしろいんです」と笑いながら話してくれました。この精緻な職人技が、350年前から変わらない、心地よい風を生み出しているのです。

MOVIE
動画:撫川うちわ

私たちの心にまで響く、
芸術的な透かしの技。
涼やかに、ロマンチックに夏を彩る。

「すっと来て 袖に入たる 蛍かな」
うちわに光を通すと浮かび上がる俳句と絵柄。緻密なまでの手仕事と数々のこだわりがあってこそ、芸術的な美しさが紡がれていくのです。

たとえば、3枚の和紙を張り合わせることで生まれる「透かし」。花鳥風月の絵柄をデッサン・彩色したり、歌継ぎの文字や、透かしを強調したい場所を切り抜いたり。一枚ずつそれぞれに、ミリ単位の細工が施されています。さらに、使う素材にも一切の妥協はしません。和紙は産地である高知県の楮(こうぞ)を手漉きし、にかわでコーティングした特注品を用います。縁を彩る紫の生地は、京都に染めに出した絹を使うこだわりよう。楮の繊維、絹の紫がアクセントとなり、より一層の風情をたたえています。

「良いうちわを作るには技術、選び抜いた素材、そして多くの時間が必要です。手仕事にこだわり、最適な仕上がりをイメージしながら、神経を集中させている」と石原さんは言います。
こうして作られるのは桔梗やカキツバタ、蛍、金魚など、夏を優雅に彩る色とりどりの絵柄。職人の技術によって、うちわに大輪の花を咲かせます。

これからもこの技術と
美しさを伝承していく。

撫川うちわは、その美しさと伝統から、昭和57(1982)年3月、県の郷土伝統的工芸品に指定、さらに昭和60(1985)年7月、保存会「三杉堂」は岡山市選定保存技術団体に認定されました。
保存会を担う石原さんの思いは、「この芸術品のようなうちわを、後世に伝える」こと。現在は、製作はもちろん、技術の伝承と後継者育成にも取り組んでいます。「うちわは扇ぐための道具ですが、撫川うちわは風雅な涼も運んでくれます。風情も一緒に愉しんでほしい」と石原さん。先人たちの思いを受け継ぎ、今日もうちわを作ります。

写真:石原 中山 さん

Profile

撫川うちわ職人
撫川うちわ保存会「三杉堂」 代表 石原 中山(いしはら ちゅうざん)

昭和10(1935)年、撫川生まれ。撫川うちわを復活させた立役者の1人である坂野次香の元でうちわ作りを学ぶ。現在は保存会「三杉堂」の主力メンバーとして、撫川うちわの魅力を後世に伝えるため、地道な活動をしている。

撫川うちわについて詳しく見る

TOP